日本史サイトの「明智光秀特集」で、宇佐山城が紹介された。宇佐山城とは、信長の本拠地・美濃と京を結ぶ最重要地点であり、浅井・朝倉・比叡山山門勢力に囲まれ,狙われていた最前線。同城は、現在の滋賀県大津市南滋賀町にあった。
そこから一番近いと思われる酒蔵が「平井商店」。万治元年(1658年)創業の伝統ある酒蔵で、銘柄は「浅茅生(あさぢお)」。「浅茅生」と言えば、小倉百人一首の次の句が思い出される。
浅茅生(あさぢふ)の 小野(をの)の篠原(しのはら) しのぶれど あまりてなどか 人の恋(こひ)しき 参議等(39番)
現代語訳:まばらに茅(ちがや)が生える、小野の篠原の「しの」のようにずっと思いを忍んできたが、もうその思いを隠せなくなった。どうしてあの人がこんなにも恋しいのだろう。
胸が張り裂けそうな恋心を詠んだ名句である。
もっとも、この銘柄名「浅茅生」は、後水尾天皇の皇子、聖護院宮道寛親王の次の和歌が起源とのことらしい。
「浅茅生の 志げき野中の真清水は いく千世ふとも くみはつきせじ」
その「浅茅生」を飲んでみた。
「いく千世ふとも、汲んでも尽きない」清水と近江米からできた酒の特徴なのだろうか。飲んだ瞬間は甘い。しかしながら、喉を越すときは辛さを感じる不思議な純米酒と言える。舌だけでなく「喉ごし」の感覚を楽しんで欲しい逸品である。